| 昼過ぎから降り出した雨は グレッグミンスターの彼方此方から夕飯の香りが漂う時間になっても、まだ止む気配はなく。
「テッドー生きてるー?」 雨になると、決って体調を崩す親友の家の扉を叩いた。
洗濯物はグレミオが唐突に押しかけて奪っていくのだが、掃除も料理も自分でし、テッドは立派に一人暮らしをしている。 しかし、雨の日だけは別だ。 いつだったか、セイとテッドの二人だけで出掛けていた時。 途中で雨が降り出し、傘もなく走って帰れる距離でもなかったので、渋々雨宿りをしていたら 徐々に口数が少なくなっていき、挙げ句顔色まで悪くなっていくテッドに、セイも真っ青になったのだった。
それ以来セイは、雨になると引き篭って何もしなくなる彼に食事を届けに来たりしている。 今日も、勝手知ったる様で返事も聞かない内に家に上がり込むと 真っ黒の傘を玄関に置き去りに彼が死んだ様に転がっているであろう寝室に向かって、暗い中を進む。 「テッドー?」 明りの漏れる部屋の扉を叩き、やはり返事は待たずに戸を開ければ、予想通りベッドにうつ伏せで転がっているテッドの姿。 「……相変らず死んでるね」 「おう……」 溜息と一緒に出たセイの言葉に、掠れた声が返ってくる。起きてはいるらしい。 「大丈夫?」 「まぁまぁ」 「ご飯、ここに置いておく? 台所の方が良い?」 「ここに置いといてくれ」 「オッケ」 テッドはピクリとも動かないのだが、セイは慣れた様子で会話を交すと言われた通り 部屋にあるテーブルの上に持ってきたバスケットを乗せ、自分は椅子に腰掛けた。 扉と向かい合う窓に視線を向ければ、暗闇が窓ガラスを鏡の様にして部屋の中を映している。 ガラスを滑る雨の雫が、競争をしているみたいで面白い。なんて思いながら、視線をテッドに移した。 やはり動いていない。 「……やっぱり病気なんじゃないの?」 「だから、違うって……」 「けどさ……」 「ただの体質……ほらオレ、美少年だから。低血圧なんだよ」 「……美少年は、自分の事“美少年”なんて言わないと思うけど」 「ほほう。それじゃあ、お前は美少年だと?」 「そんな事は言ってないだろ。大体、美少年だったらなんで低血圧なんだよ」 「古今東西、美少年は低血圧って決ってんのー」 「そうなんだ……」 テッドの軽口……と云うか冗談を、至極真面目な顔で聞いては頷くセイ。 何も今の彼がぐったりしていて真逆冗談を言わないだろうと思っている訳ではなく、これが日常である。 そんなセイの姿に、テッドはとても億劫そうに枕に伏せていた顔を向けると、呆れた様子で少しだけ笑った。 「まぁ、それは置いといてさ。本当にだたの体質なんだ、あんま気にすんなよ」 「ん? うん……まぁ、体質なら仕方ないのかもしれないけど……治らないのか?」 「さぁ……治そうなんて、思った事ないから」 「最近? 雨になると体調崩すのって」 「いーや。生れた時から……って訳でもないけど、結構昔から。かな」 「なのに、治れば良いって思った事ないの?」 「死ぬ訳じゃないし。一時期我慢すれば良いだけだからな」 「動けないくらい辛いくせに」 「動けない訳じゃないって……ダルいから動かないだけ。動こうと思えば動けるよ」 心配からか。睨み付けてくるセイに、テッドは如何にも疲れていると云う様子で体を起し、ベッドの上で胡座を掻いた。 「な?」 それでも、枕を壁と体の間に挟んで少しでも楽な姿勢をとろうとして居るあたり、やはり辛い事には変らないのだろう。 なのに大丈夫だと笑う親友に、セイは睨みから呆れに変えて大きく溜息を付いた。 「分かったよ……分かったから横になってろ!」 「うわっ!」 腰を上げると有無を言わさず、ヘラヘラ笑っていた彼を横倒しにして布団を被せてやる。 慌てた様子で布団から顔を出してくるのでべっと舌を出せば、テッドも同じ様に舌を出して 二人一緒に笑う。 「……心配性」 「意地っ張りに言われたくない」 「なにおう!」 「そっちこそ!」 いつもならこのまま喧嘩に発展するのだが、今はテッドの気力が続かない様で。 怒った顔で何度か拳を振り上げると、力尽きた様にばたりと腕をベッドに落してしまう。 不意に静かになる室内。
心細くなる様な、そんな声が突然聞えて、セイはゆっくりとそちらに視線を移すと 腕を枕に、窓を見ていたテッドの目が見上げてくる。 「……雨は?」 ベッドに腰掛けているセイは、自然と彼を見下ろす形になるのだが 口の端を吊り上げて楽しそうに微笑むテッドに、何故か見下ろされている様な気がして口を尖らせて聞き返せば テッドは更に笑みを濃くし。 「雨は、嫌いじゃないんだ」 それだけ言うと、目を再び窓へと向けた。 「嫌いじゃないんだ……」 「あぁ」 「なのに、その体調を治してまで動きたくはないと」 「それはそれ。これはこれ」 「なんだよ、それ」 「そのまんまー」 いつもと変らず煙に巻く様な話し方をするテッドにセイはどんどん不機嫌そうに顔を歪ませ、それを見てテッドは可笑しそうに笑う。 「雨ってさ」 「うん」 「冷たいだろ」 「水だからね」 「愛想ないなー、お前」 「で? 冷たいから何?」 煙に巻かれた事や笑われた事を気にしてるらしい。 負けず嫌いで根に持つタイプな親友の不愛想な声に、テッドはチラリと彼を窺ってから苦笑いを浮べて 「冷たいから、当ってると気持ち良いだろ」 窓に触れようとする様に、左手を伸ばした。 「そりゃ、夏なら涼しくて良いけど……冬は寒いだろ」 「まぁ、そうなんだけどさ」 「……けど?」 伸ばされた左手は窓までは流石に届くわけがなく、力尽きてだらりと落ちてしまったが セイが同じ様に右手を伸ばし、テッドの落ちてしまった左腕を慰める様に数度叩く。 彼にとっては、恐らく無意識の所作なのだろう。驚いて見上げるテッドの顔に、逆に驚いた顔をしているのだから。
「……そう?」 冬に近い今日は、雨が降っている事も有り随分と寒く 薄手ではあるが長袖のシャツを着たテッドの腕に、布越しでじんわりとセイの体温が伝わる。 「こんなに体温高かったっけ?」 「自分ではよく分からないって、そんな事」 「体温高いって、子どもみてぇ」 「社会的にはまだ子どもです」 「ちっ。そうきたか……」 「何度も何度も、テッドの餌食になってたまるか!」 同じ事を以前も何度か繰り返している為、その事を言っているのだろうが。 その勝ち誇った顔が子どもっぽいと言う事には、まだ気付いていないらしい。 勿論、その事を突っ込めばいつもの如く言い争いに突入するのだが 今のテッドはそんな気分でもなければ気力もない為、大人しく苦笑いを浮べておくだけにした。 「それで?」 「へ? あぁ、うん。それでな」 「うん」 テッドが左手をぶらぶらと振れば、重ねられたセイの右手も同じ様に揺れる。 「冷たいから」 「冷たいから?」 「雨に当ってると、生きてるって感じするだろ」 「…………へ?」 「だからー……雨が冷たいからさ。当ってると、自分の体は温かいんだって分かるじゃないか」 「……うん」 「体が温かいって事は、生きてるって事だろ?
だから 薄く微笑んだテッドとは変り、セイは酷く驚いた……と云うよりもポカンとした顔で、穴が空きそうな程テッドを見詰める。 「……いや、そんなに見られても」 「だ……って、え。何? テッド、死んでるの?」 酷く真面目な顔で問われ、普通なら驚く処だが。テッドは手馴れたもので、生温い笑顔で受け流す。 「……そうじゃなくて」 「だって。そんな、雨に打たれなきゃ生きてるって分からないって……」 「あー……そうじゃなくてさぁ……」 「何?」 「だから……」 テッドが振っていた左腕を止めて、重なっていた右手を掴めば セイは真面目な表情は崩さないまま少し驚いた色を混じらて、大人しく見守っている。 「俺もお前も生きてるのは当たり前だけど、それを改めて実感する……って事」
「うん?」 「僕も、テッドも。生きてるよ」 「……うん」
確かに生命を感じられる、唯一のものなのかもしれない。
「何」 「長い間雨に当ったりするの止めなよ。風邪引くから」 「分かってるよ」 掴んでいた腕を放して頭の後ろで組むと仰向けになり、心配顔の親友を安心させようと笑顔を向ければ 心配そうだった顔が、嬉しそうに変った。 それだけで辛さも何もかも、テッドの身体から消え去っていく。
「そう?」 「おう。だから、お前もそろそろ帰った方が良いぞ。雨、止みそうにないし」 「そうだね……うん、そろそろ戻る。テッドも、意外と元気そうだし」 「まぁな。ご飯もちゃんと食って、明日晴れてたら返しに行くから」 「雨だったらまた来るしね」 「あはは、頼むな」 「オッケー。頼まれた」 セイが腰を上げれば、少しベッドが浮き上がる。 いつも通りに戻った空気に、楽しそうに笑いながら扉を開けるセイにテッドは 「そうだ、セイ」 精一杯素早く体を起して、彼を見た。 一人で寝ていた時に比べれば随分と体が軽くなっている気がして、わざわざ体を起した自分の事を心配そうに見る顔が嬉しくて テッドは飛び切りの笑顔を浮べる。 「何?」 「雨止んだらさ、虹。探しに行こう」 「虹を探しに?」 「おう! ついでに、虹の向うにも行くか?」 「虹って、光の屈折で出来る幻みたいなもんだよ。向うも何もないだろ」 「お前って奴は、本当に夢がないな……」 「テッドが子どもっぽいんじゃないの」 「夢があるって言え!」 「はいはい。じゃあ、雨が止んだらね」 「あぁ、じゃあな」 笑いながら部屋を後にした親友の背中を見送って、テッドは重力に身を任せて身体をベッドに沈めた。 目を閉じれば周りの音がハッキリ聞えてきて、独りである事を痛烈に感じて少し顔が歪んだが 暫くすると外の扉がバタンと閉った音がして それから
自分の事に気付いたテッドに、嬉しそうな笑顔を向けると
「何だとう!」 「気を付けて帰れよ」 「直ぐそこだよ」 「お坊ちゃんにとっちゃ、長い道程だろ?」 「元気になったら覚えとけ!」 「あっはは、頑張ってみるよ。じゃ、オヤスミ」 雨の度に身体がダルくなっても治す気がないのは、こうやって心配してくれる人が居る事が嬉しいから。
ひらひらと手を振りながら、今度こそ本当に帰って行くセイの背中を見送った。
04/09/14 |