| 頭を撫でてくれた手の大きさ。
行き先は町外れにある川。 父親が休みだと云う事で、久し振りの家族の団欒だ。 見上げた空の色など、一瞬にして忘れてしまう。 母親が可笑しそうに『今日のご飯はとれるかしら?』と云えば 父親が自信満々に『村の人達、皆に配れるくらい釣ってやる!』と云う。 兄は『ぼくも、ぼくもがんばるよー』とぴょこぴょこ飛び跳ね 彼女も『わたしも、いっぱいとるよ!』と両親を見上げる。 道行く人達が『仲良しね』なんて、楽しそうな声をかける。
大きく 誰かの悲鳴が、大きく聞えた。 この村は山の中腹に在り森に囲まれて居る事もあって、時折モンスターが舞い込んで来る事もあった。 その時も、家族の誰もが。村の皆が、そうだと思った。 父親は『出てくるなよ』と彼女達に云い、愛用の剣を手にする。 『あまり無理はしないでちょうだい』と母親が心配そうに云うと 父親は、兄と彼女の頭を撫でて『当たり前だ』と笑いながら、扉を開けた。 しかし
武器を持った村の人間達が、赤を見つめて何かを叫んだ。
しかし、父親には届いたのだろう。閉じられた扉。 母親に『奥へ行け!』と怒鳴る。 母親は強く頷くと、全く状況を理解出来ていない兄と彼女の手を引く。 向かったのは寝室。 ベッド下は、大人が潜り込むには苦しいが、小さな子どもなら充分。 訳も分らず押し込められた彼女と兄は、仕置きなのかと思って泣き出てくる。 しかし母親は、2人の頭を一撫ですると『かくれんぼよ』、そう言って笑う。 誰が来ても喋ってはいけない。何があっても出て来てはいけない。 そんな言葉を残し、もう一度彼女と兄をベッドの下へ。 扉の開く音がして、父親の声が小さくした。 『しーっ! だよ』 兄は人差し指を口に当て、楽しそうに笑う。 彼女は少し不安に思いながらも、兄の仕種を真似て笑う。 バタバタと近付いてくる足音、堪らない熱さ。 それでも彼女と兄は、黙ったまま。 母親と父親も、この部屋から出ていく事はない。 不安が、恐怖が 彼女に重く圧し掛かる。 何を疑う事もなく、大人しくしている兄。 彼女がじっと見詰めれば、ニコリと笑って頭を撫でてくる。 恐怖が 心臓が止りそうな恐怖が、彼女を支配する。 そんな彼女を、いつも母親がしてくれる様に 優しく 優しく、兄は抱きしめる。 しがみ付く彼女の、頭を撫でながら抱きしめる。 少しでも、不安を無くしてやろうと 同い年の兄は、彼女を優しく抱きしめる。 それでも、彼女の不安も恐怖も消える事はない。
沢山の足音と、聞いた事のない声。 室内を埋め尽くす剣戟。
吸った空気が、煙ではなく異臭になっている事に気付いた時。 初めて開けた目に映ったものは 死んでいるのかと思う程に、精気の抜けた兄の横顔。 その横顔の見つめる先には 床に折れ、重なる沢山の人。 沢山の水色と白で、床の上に空が出来ていた。 その、空の上には 彼女と兄が、とてもよく知っている
この場所で何が行われたのか、全く分らない。 この後、何が起こるのかも全く分らない。 それでも 本能が鳴らす警笛に、抜け殻になった兄を引き摺りベッドの下から出る。 いくつもの床に落ちた体を踏み、開け放たれたままの扉へと進む。 何度も躓く兄を立たせては、その下に居る人が自分を睨んでいる気がして 彼女は、恐ろしさから 沢山の死体で埋められたこの部屋から、必死で逃げ出す事だけを考えた。 兄が、小さく声を上げた。 『おか…………とう……』 小さ過ぎる声は、彼女の耳には届かない。 よたよたとした歩調の兄の手を確りと握り、彼女は外に出た。
瓦礫にまみれた幾多の屍骸を踏み越えて。
主張するかの如く、彼女は懸命に走る。
言葉も発さず、ただ引き摺られるだけの兄と共に。 何も食べず、木々の夜露だけで喉を潤し 彼女は懸命に走り続けた。
隣には、変らず人形の様な兄がぼんやりと虚空を見つめている。
彼女はズキズキと痛む足の裏を地に付ける。 ジワリと広がる地面の感触と、傷に染み込む砂の感触。 彼女の履いていた靴は、走っている途中で靴を無くした兄の足にある。 立ち上がろうと 足に力を入れてみても、体は蓄積した疲労の所為で侭ならない。 『あ! じーちゃん、うごいたよーいきてるよー!』 すぐ傍で聞えた声に、彼女は驚いて顔を向ける。
なくした筈の太陽が
恐怖でもがく足は、それでも体を動かしてはくれず。 『あぁ!
だめだよ、うごいちゃだめだよ!
いっぱいけがしてるんだからっ! 後退る事しか出来ない彼女に、光の中の人は慌てた様に誰かを呼ぶ。 その誰かは、やはり光の向こうから現れた。 目の前にいた人よりも、何倍も大きく見えるその人は
逆光で見えない姿から伸ばして、彼女の頭を一撫でする。
『おぉ、おぉ……泣かないでおくれ』 何を言われても泣き止む事の出来ない彼女に、大きな人は困った様に彼女を抱き上げる。 ようやく見えた優しい笑顔と あたたかい体温。 『もう、大丈夫だ。大丈夫だよ
『今日から4人家族だ。ナナミは今日からお姉ちゃんだぞ』 『わぁ!! やった! やった!
ななみ、おねーちゃんだ!! 小さな人は本当に嬉しそうに、彼女と兄を覗き込む。 あまりにも嬉しそうな笑顔に、抜け殻となっていた筈の兄が 村を出てから初めて、表情を変えた。
『おぉ、本当だ。お姉ちゃんが出来て、この子も喜んでるのかも知れんな』 『だったらすごくうれしいな!』
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