「扉を開けろ! グレミオ!!」


残ったのは、マントと斧だけ。


「勝手な事をするな! 今直ぐ扉を開けろ!
 俺は頼んでる訳じゃない、これは命令だ!! 聞いてるのかグレミオっ!!!」


唐突に消えた、心の拠り所。




「扉を開けろーーーー!!!!!」



テッドと別れた時に生れた、恐ろしい程の恐怖。

オデッサを失った時に生れた、堪らない喪失感。




そして心は、確実に歪んで……。





罅裂【サケル】





温暖気候にある赤月帝国だが、冬となれば流石に寒くもなるので兵を進めるのは難しく

その為に解放軍はここ最近、妙に穏やかな日を過ごしている。そんなある日。

進軍しなくとも軍主であればやる事は色々とあり、セイは毎日の如く暇潰しがてら仕事でもしようかと、軍師の部屋へ向かったら

『今日は一日、ゆっくりお休み下さい』

と言われてしまい、唐突に本当の暇が出来てしまった。

それは困ると言ってはみたが、今のセイには休息が必要だと突っぱねられ。仕方がなく。

ルック“で”遊ぼうと思い彼を探してみたが。本能が全力で警笛を鳴らしたのだろう、居そうな場所全てを探してみたが見付からず。

本当に何もする事がなくて部屋でぼんやりと寝転がっていたら、クレオがお茶を運んで来た。

クレオは、セイの父であるテオの部下としてマクドール邸に居着いていた身で

10代も半ばから軍隊に居た彼女は家事らしい家事と云うものをした試しがなく。

セイも、彼女がお茶を入れる姿すら見た事がなかったので

その突然の出来事に多いに驚き、ベッドでゴロゴロしていた体を思わず起した。

「クレオ……が、入れた……の、か?」

「……いえ……マリーさんが入れて下さったのを、持ってきただけです」

「だーよねー。あービックリしたー!」

「…………私がお茶を入れると、そんなに驚きますか?」

「驚くね。だってそんなクレオ、見た事ないじゃないか」

まだ湯気が濃く立つカップを机に並べながら、本来ならば怒っても良さそうな言葉に、クレオは苦笑いを浮べるだけ。

図星だから、と云う部分もあるにはあるが。

「クレオ、こっちこっち!」

「駄目ですよ、セイ様。ベッドの上で飲んだり食べたりしては」

「ちっ!」

セイが解放軍のリーダーとしてではなく、家に居た頃の様に話して笑ってくれる事が何よりも嬉しくて。

渋々と云った具合でベッドから腰を上げ、だらだらと椅子に着くセイを見ていると昔に戻った様で。

クレオは気付かなかった。


彼の、小さな小さな変化に。






「セイ様、髪が……随分と伸びましたね」

セイは普段から右手だけでなく両手に手袋を嵌めているため、本来なら熱いカップもその手には丁度良い様で。

両手でカップを持って冷めるのを待っている彼に、前に座るクレオが不意にそんな事を呟いた。

「そういえば、何時の間にか視界が狭くなったと」

今気付いたと言わんばかりの彼の言葉に、再び苦笑いを浮べるクレオ。

完全に目の下まで伸びている前髪を、ふーっと吹き上げているセイ。


そういえば……と

髪を切られる事を嫌って、伸びてくると邪魔じゃないと主張する為にそんな行動をよくとっていた事を、彼女は思い出した。

そんな事をしても結局、捕まって切られてしまうのだが。前髪が伸びる度に飽きずにそんな事を繰り返す。

その時と同じ行動を目の前でとる姿に、胸の奥が微かに軋んだ。

今はもう、捕まえる人が居ないのに。


「……セイ様、私が切りましょうか?」

まだ新し過ぎる失った記憶は、思考を別方向へ移す事も困難にさせ。

自分よりも苦しい思いをしているであろう彼を苦しめる訳にはいかないと、クレオは何とか作った笑顔と言葉を向けてみれば

セイは何事もなかったかの様に、お茶を冷ます為に必死で息を吹きかけているばかり。

思えばセイは、解放軍のリーダーになってからと云うもの、いつだってリーダー然としている。

自分の存在の価値を、痛い程に承知しているのだ。

自分が倒れてしまえば、軍が倒れてしまう。

悲しくない筈はないのに、それでもリーダーとして立ち続けている。

それは、幼い頃からセイを知っているクレオにしてみれば、寂しくもあり嬉しくもある事で。

「髪が伸びていては、戦う時も邪魔になってしまいますよ」

自分には頼って欲しい、そういう想いも乗せて伸ばした手は

「良いよ。本当に邪魔だと思ったら、自分で切るから」


柔らかく、左手で押し戻された。


「もう子どもじゃないんだ。それくらい自分で出来るよ」

カップからクレオへと視線を上げたセイの顔は、彼女が今迄でたったの一度も見た事のない。

とてもとても綺麗な、微笑みを湛えて……



それは、酷く優しい



拒絶。





「お茶、美味しかった。ってマリーおばさんに言っておいてよ」

その声で、クレオがふと我に返った。

見ればセイのカップは空になっており、ソーサーと共に持ってきたトレイへと乗せられている。

彼の悪友等が『営業スマイル』と呼ぶ笑顔を貼り付け、席を立ちあがる姿に彼女は堪らなく怖くなった。

昔からセイは、他人から心を隠す時に癖の様にそんな笑顔を浮べる事があったが

マクドール邸に居た頃は勿論、グレッグミンスターを出て解放軍に入った現在まで

クレオは一度だってそんな笑顔を向けられた事がなかったと云うのに。



他人だと、突き放された。



彼女はセイの事を、自分の上司の子どもだからという事でここまで付いて来た訳ではない。

それが帝国に、延いてはテオに反する事になったとしても

解放軍リーダーではなく“セイ”と云う彼自身を守り支えたいと思って、ここまで付いて来たと云うのに。

「セ……ぼ、坊ちゃん!」

ガタリと立ち上って背中を見せる彼に、縋り付く様に手を伸ばし右腕を掴んだ。


瞬間



言葉なく振り解かれた手。



ゆっくりと振り返るセイの姿に、クレオは呆然と見つめる事しか出来ず。

「クレオ……僕はもう、何も知らない子どもじゃない」


浮べるのは、先程同じ綺麗な笑顔。


「その呼び方は止めてくれないか?」

言葉尻こそ疑問系ではあるが、その表情は選ぶ事を許さないと言っている。


美し過ぎる笑顔は、人形の様に。




「あ…………はい。申し訳ありません……セイ様」

「謝るほどの事じゃないだろう。ただの、僕の我侭なんだからさ」

「……はい」

「うん。それじゃあ、僕は少し休むから」

「……はい。お休み、なさいませ……」

「おやすみ」

貼り付いた笑顔で手を振るセイに、それ以上何も言えなくなって

クレオはそれだけ絞り出すとトレイを手に、逃げる様に彼の部屋を出た。


彼の部屋は、他の仲間達が居る本塔からは少し長い廊下を挟んだ所にあり

この部屋へ訪れる用がなければ辺りには誰も近付かず。

彼女が部屋を出た時も、外からの賑やかな声は聞えるものの付近は静かで

扉から一歩、二歩、と進むと。その場に崩れる様に、しゃがみ込んだ。

その勢いで、持っていたトレイから空になっていた彼の使ったカップが落ち、石材で出来た床で弾んで

パキンと小さな音を発てた。


「あ……持ち手が……」

落ちたカップは衝撃に耐えられず、持ち手が見事に外れてしまい

他の物を落とさない様に気を付けながら拾い上げてみれば、彼方此方に亀裂も入っている。

「怒られて、しまうわね……」

カップと持ち手をトレイに乗せながら苦笑いを浮べれば、小さな水滴が服の上に落ちた。

その事に、自分の残したカップ……もしくはポットからお茶が零れたのかと、慌ててトレイの上を確認してみれば

今度はパタパタと、トレイの上に水滴が落ちるではないか。

「…………え……」


落ちていたのは、お茶ではなく涙で。


「これじゃ……私の方が子どもじゃないか……」

気付かなかった自分に笑おうとしても、落ちてくる涙は止らず。



ポタリポタリと落ちる涙が


空いたソーサーの上に、割れたカップの上に。


雨の様に……。



「罅が……」



気付かなかった、ほんの小さな罅。

しかし、それは確かに歪みを生んで




罅割れていく心。





05/04/06