ふと

セイの頭に過ぎったのは、10歳の誕生日の事。


『お父さん、僕ももう10歳です。これからは大人の男として、扱ってください』


本当に大人の男ならそんな事は言わないだろう、と今なら思うけれど

あの時のセイは、幼いなりにあの背中に認められる為に一生懸命だった。

彼の言葉に驚いた顔をしてから笑った父の顔は、今思えば寂しげだったかもしれない。

しかしセイは、あの背中に追いつく事だけに必死で……。



どれだけ背伸びをして、手を伸ばしても届かないと感じるくらい大きな背中。

偉大なる姿。


何よりも近くに在る理想で

神様。





剥落【トリノコサレル】





ギィン



金属と金属が激しくぶつかる鈍い音が、意識を飛ばしていたセイを覚醒させる。

「生きるか死ぬかという時に考え事とは、偉くなったものだな!!」

目の前の敵が打ち出す鋭い切っ先を紙一重で躱し距離をとるも、間合いは直に詰められて再び刃が襲い掛かってくる。

「セイ殿!!」
「セイ様!!」

マッシュやクレオの声がBGMの様に聞こえる中で、ビクトールとフリックはただ静かにその戦いを眺めていた。

百戦百勝の名を持つ帝国将軍と、多くの希望を背負う解放軍リーダーの一騎打ち。

この戦いの勝敗が、解放軍の命運を決めるといっても過言ではないのだが、セイとテオにとってはそれ以上に意味の在る闘い。


これは聖戦だ。


幾度となく繰り返してきた戦いも、これが最期になる事だろう。

今までの様に練習用の竹光と木の棍ではなく、研ぎ澄まされた真剣と愛用の鉄棍なのだから。

打ち出される剣を棍で弾けば、毀れた刃がセイの頬を掠めて赤い筋を作った。

「守ってばかりで、勝てると思っているのか!!!」

「……っ!!」

迷う無く繰り出されるテオの剣技に、セイは防戦一方で

「セイ殿!!!」

それ故、マッシュの悲鳴の様な叫びが上がるのだが。

セイとて、わざと攻撃をしていないわけじゃない。彼の軍師は、情に邪魔され強く出られないのだと思っているようで。

戦場では“死神”の異名をとる彼が防戦一方など、手を抜いている以外に考えられないと云うのが周りの意見なのだが

確かに情に因る部分もあるにはあるが、それだけではなくテオの方が純粋に強いのだから。






『セイは剣が苦手か?』

父の後を継ぐべくして、セイはありとあらゆる武器の扱いを習った。

勿論父が得意として扱っている剣は父から直に教わり、何度となく稽古もつけてもらっている。

全戦全敗ではあったが。

剣が苦手かと聞かれた時、素直に頷けなかった事もセイはよく覚えていた。

確かに剣は自分には合わない様で、どれだけ腕を振るっていても全く馴染む様子がなかったのだ。

それでも、父が剣を使っていたから。

それだけの理由で使い続けてみたものの、人並みには使えても父には到底及ばず、いつしか剣その物が嫌いになっていったが。

そんな折、棍術を得意とするカイが家に訪れ、こんな事を言われたのだ。

『お前は父の一部だし、父はお前の一部だ。しかしお前ではない。お前はお前の生き方をすれば良い』

その言葉は、父の背中を追う事に必死だったセイにとって、目から鱗が落ちる程の衝撃だった。

以来、すっぱりと剣を使う事を止め、カイを師と仰ぎ棍を教わったのだが。

棍は驚く程セイに馴染み、以前は早ければ数十秒で片がついていた稽古も、父を苦戦させる事が出来る程度にまで腕を上げ

『これは、追い抜かれる日も近いな』

そう言って笑う父に、セイもそんな日が遠くても来る事を願っていた。


しかしそれは



願いつづけた日は、こんな形ではないのに。






「その程度か解放軍リーダー、セイ!!」

呼ばれる名前と共に、左わき腹に走った鋭い痛み。

「「セイ!!!!」」
「セイ殿!!!!」
「「セイ様!!!!」」

棍でテオを押し返し、流れる様に下段を狙って打つが、いとも簡単に躱された。

勿論それは躱される事を前提として、距離ととる為だけに打ったのだけれど。

視線は眼前の敵から外さず、いつでも動ける様に間合いを計りながら左手でわき腹に触れてみるが

手袋をしている為いまいちよく分からない。

ただ、ひたすらに熱い。


仲間達の言葉すら煩わしく思う程の、熱さが。


棍を握り直した左手が、視界の端に映った。

薄茶色に、ベッタリと付いた赤。


血だ。



死していく者を彩る、美しき赤。

彼女と同じ色。



セイの視界を掠めた、鮮やか過ぎる赤。



初めて見た赤も、そういえば同じ赤だったと……。

自分も死ぬのかと……。


真っ赤な血が、今日もどこかで。自分達の知らない所でも、流れているのだと

自分の体から鮮血を流しながら、だから自分は戦うのだと言った。

たった一つの命を守りながら、多くのものを想い逝った。



セイの思考を掠めた、鮮やか過ぎる赤。



彼の意識が覚醒する。





左わき腹の傷を、衣類を裂いて止血して棍を強く握り直した。

先程までとは比べ物にならないスピードで、一気に間合いを詰めてくるセイに

テオは一瞬身じろぐものの直ぐ様構えの形を変えて、飛び込んでくる敵に対して冷静に剣を振るう。

それを予測していたのか。セイは舞う様にすらりと躱すと、渾身の力を込め

テオの胸に、棍の先端を突き立てた。


メキっと鈍い音が響く。


誰の声もしない。風の音もない。

ただ静かなその場所に


テオの纏った鎧のひび割れた音が、響く。




その瞬間、誰もが何が起こったのか分からなかった。

力なく倒れていくテオの姿に、一番最初に我に返ったのは

「「テオ様!!!!!」」

二人の一騎打ちを離れて見守っていた、クレオとパーンだ。

現在は解放軍、セイの元で戦ってるとは言え、彼らは元々テオの部下である。

「テオ様!!!!!!!」

次に声を上げたのは、火炎将の異名をとるテオの部下アレン。

隣に佇むのは雷撃将グレンシールで、彼も声は出さずとも想いはアレンと同じ。

クレオとパーンが駆け寄るのと同じく、彼等もテオへと駆け寄った。

ビクトールとフリックは、その戦いの余波にまだ当てられているのだろう。息を飲み、その場で立ち尽くしている。

そして、セイも

棍を突き立てた形で構えていた腕を下ろしこそすれ、その場から一歩も動かない。

肩で息をしながら、目の前の光景を見ているだけ。

ただ、感情のない瞳で。


力んだ所為か。傷を無理矢理抑えている布は、どんどんと赤い範囲を広げ。

マッシュはその事に気が付き、近付こうとするが

その雰囲気が

後姿が

近付く事を拒否している様な気がして、声をかける事すら出来ずにいた。



「テオ様! 確りして下さいテオ様!!」
「テオ様!!!」

涙混じりのクレオとパーンの声にも、セイの表情は動かない。

それでもテオは、クレオに支えられながらも視線をセイへと向けて

痛まない筈はない。鎧が割れる程の力を込めて胸を打ったのだから。

それでもテオは、弱弱しくも笑顔を作り


「立派に……なった、な……」


そう、微笑んだのだ。

目の前で自分の手を握るクレオやパーン、傍に居る自分の部下にではなく

セイへと。

自分の息子へと、言葉を。

「セイ・マクドール…………我が、息子よ……強くなった……」

心から息子を想う、父親の言葉を。

「私は、私の信じるものの為に生きた……そして、悔いはない」

真っ直ぐにセイへ向けられるのは

「お前も……お前の信じたものの為に、生きるがいい。私はお前の選択を……祝福しよう」

幼い頃から彼を見つめ続けていた優しい瞳。



「テオ様、死んではなりません! 貴方が死んだら帝国はどうなるのです!?」

どんどん弱くなっていく語尾に、アレンが居ても立ってもいられず叫んだが

「アレン……グレンシール…………お前達に頼みがある」

呼ばれた名前に、その体は子どもの様に震えた。

誰もが、もう先がないと思うに充分な声だったのだ。

「なんでしょうか、テオ様……」

極力冷静になろうとしているのか。それとも本当に冷静なのか。

完全に混乱しているアレンには全く分からないが、落ち着いたグレンシールの言葉に

「私は……皇帝陛下、ただ一人の為に戦った……それは、私の意地でもある
 しかし、お前達まで……それに付き合う必要はない」

ようやく二人の方を向いたテオの表情は、軍人ではなく

「時代の流れは……もう、止める事……は、出来ない」

酷く優しい

「アレン、グレンシール……お前達は、解放軍に……息子に、力を貸してやって欲しい……」

父親の顔をして、笑んでいた。

「それが……お前達の為にも、なる筈だ」

口から伝うは、赤い筋。

胸を打った衝撃は骨を折り、肺へと食い込んでいるのだろう。

「テオ様もう喋らないで下さい!!」

言葉を吐く度に、夥しい量の血が

地面を、胸を


赤く染め上げてゆく。



「セイ……我が息子よ。私は、幸せだよ……」

緩慢に、それでも確りと。またセイへと、テオは視線を投げる。

一向に動かず、ただ離れた所から自分を眺めているだけの息子へ。

死していく父に対し、駆け寄る事もなく。声をかける事もなく、ただ眺めているだけの唯一人の息子。

彼が十を過ぎてから、思えば父親らしい事をあまりしてやった覚えがないと、テオは思う。

そう思えば、ただ後悔だけが彼の心に渦巻いた。


何せ現状を持ってして、息子へと投げかける言葉が

「父にとって、我が子が……自分を越える……瞬間を見る事が出来るのは、最高の……幸せだ」

そんな言葉なのだから。


しかしそれは、テオの心からの言葉で

それが、セイを苦しめる事になる事も分かっていて。それでも、願わずにはいられない。



世界でたった一人の、何よりも大切な命へ。



「頑張れよ……我が息子、セイ……」

掠れていく言葉に、届かないかもしれないと思いながら

セイよ、どうか幸せに……と、テオはゆっくり目を閉じて


静かに力を失った。






「テオ様ーーーーー!!!!」

その身体にしがみつく様にして泣き叫ぶクレオ。

拳を握り締め、必死で涙を堪えるパーン。

俯いて肩を震わせながら、地に小さな染みを作るアレン。

静かに目を閉じ、祷る様に手を硬く握るグレンシール。

それを、静かに見守るマッシュ達。

テオは敵方ではあったが、確かに立派な武人であった。例え相手が息子でも、迷う事無く刃を向けたのだから。

その強さが羨ましくもあり、そして

悲しくもあり。


マッシュはクレオ達から視線を外すと、セイへと視線をやった。

その後姿に、先程までの人を拒絶した雰囲気はなく。その代わり

迷子になった子どもの様に、やけに寂しげに見えて。

「……セイ殿」

ゆっくりと彼が近付けば、セイは


いや、彼の右手が

禍々しい程の黒い光を発していて、思わず足を止めた。

闇すらも飲み込んでしまうのではなかろうかと思う程の

深い深い心の闇の様な


黒。



しかし、一体何なのかとセイへ問い掛けようとするよりも早く、その光は色を消して彼がこちらを振り返った。

一瞬だけ交わった視線にマッシュは口を開こうとするが、酷く無表情なセイは

「マッシュ、全軍引き上げだ。合図を出せ」

それだけ言うと、彼の横を通り過ぎていき……



届かない言葉。


自分はこんなにも臆病だったのかと思う程、マッシュは何も言えないままその姿を見送るだけ。

セイの声が、徐々に小さくなっていってた事には気付いていたのだ。気付いていて何も言えなかった。

言える権利すら、自分にはない。この戦いに、何を斬り捨ててでも進む事を彼に課したのは、誰でもない自分なのだから。



以前は聞こえた筈の声が、今は誰にも聞こえない。

苦しみも悲しみも喜びすらも。

深い闇に飲み込まれてしまったかの様に、全ての音が消えていて。



セイが最期に、小さく小さく呟いた

『……父……さん……』

SOSにも似た言葉は、誰にも届かず深い所へ



闇へと。




落ちていく





05/04/10