パチリ



木が爆ぜる様な音が聞えて、彼女は目を覚ました。





大いなる流れに





眠りが浅いタイプではないのだが。警戒心が強い所為か、熟睡していても人の気配で目が覚めるケイだ。

なので目が覚めた瞬間に、泥棒でも来たかと常に傍に置いてある愛用のトンファーに手を伸ばしたとしても仕方ないだろう。

しかし、小さなテーブルを挟んで隣のベッドで眠る姉のナナミは、何かの気配に気付いた様子もなく爆睡中。

自分の姉はこんなにも鈍かっただろうかと思いながらも、視線は忙しなく動かし

意識はひたすらに侵入者であろう人間の気配を探す。

感覚を尖らせ静かに集中すれば、余程注意して気配を殺してる人間ではない限り必ず気付ける筈。

特にケイは気配を探ったり消したりと云う芸当が、祖父に絶賛される程上手だった。


今は亡き、ゲンカク


自分に生きる為の全てを教えてくれた。

血など繋がらなくても、沢山の愛情を注ぎ自分達を家族だとしてくれた。

大切な、大好きな祖父。


視界がふと、一つの部屋を捉えた。

一年以上前から誰も使っていない、ベッドや机の置かれたゲンカクの部屋だ。

『ときどき、おいてった本をよみに来てるね』

そう言ったのは、今は自国の兵になり戦へと出ているケイの双子の兄、カイだった。

幽霊やお化けと云う類が心底苦手なナナミとケイだったが、やって来るのが祖父だと云うのなら話は別だ。

いつでも本を読みに来られるように。いつまでもこの部屋はこのままにしておこうと、皆で決めた。

遠くもない筈の想い出に、ふと緩んだ口元。

用心と云うか殆ど癖の様なもので、一応ぐるりと辺りを見回してから

構えていたトンファーを元の位置に戻し、起き上がった体をもう一度ベッドに沈める。

恐らく先程の物音は自分の気の所為だ。実際、こんなに気を張り巡らせても動物の気配さえないのだから。

そう、気の所為……。


時は、春を迎える少し前。

本来ならまだ寒いくらいの気候なのだが、ケイには随分と暑く感じて。

起きる前までは掛けていた布団を横に寄せ、やけに尖る神経を無視して目を閉じる。

何やら嫌な予感がした。


何か、大変な事が起こる様な……。


――カイ、ジョウイ……早く帰って来てよ


休戦協定のお陰で、明日の夕刻にはこの町に帰ってくる筈の兄と幼馴染を想いながら

燃える様な熱さを感じながらも、意識は次第に眠りへと落ちていった。








「都市同盟の奇襲だ! 逃げろ!! 東の森へ逃げるんだ!!」

叫ぶ隊長の声。燃え上がる火の渦が轟々と鳴る音。そして


少年達の悲鳴。


夢から突然現実に引き戻され、お互い殆ど無意識の状態で愛用の武器を抱えテントを出た瞬間

目の前を埋め尽くした様々な赤。

自分の手を取りテント外へと引き摺り出してくれた幼馴染は、あまりの出来事に動きが止ってしまっている。

地獄絵図と云うのは、まさにこういうものだろうか。


――このままじゃ、ぼくらも……


そう思った瞬間

自分の思考が凍り付くのと同時に、カイの足は走り出していた。

握られていた手を固く握り返し、呆然としたままの幼馴染を引き摺り、北の方へと走る。

隊長であるラウドが東に逃げろと言っていたのは聞いていたが、逆らうつもりがあった訳ではなく

ただ、全身で感じる恐怖から逃れる為だけに。本能が教える方向へと、彼は逃げただけだった。


背後から聞える、共に過ごした仲間達の断末魔の叫び。

小さな頃は幾度となく苛められて泣かされた事もあったが、この一年間で楽しく付合える友人と呼べる者達も出来た。

そんな少年達が、今この瞬間に、悲痛な叫びを上げている。

助けたいと思う気持ちとは裏腹に足は体をその場から遠ざけ

気付けば、大きな崖と遥か下に急流を抱く絶壁に、カイ達は居た。

手を引かれるがまま付いてきたジョウイも我に返ったのか。

カイの足が止ると、少し来た方向を気にしながらも、ここからどうやって逃げようかと考えている様で。

川の方を覗き込んだり、聳え立つ岩肌を登ろうとしているが……。

「この崖はちょっと登れそうにないな……」

「…………ごめん……」

「カイは悪くないよ。それに、東に逃げなかったのは正しいさ
 あそこから逃げるとしたら、東の森を通らなくちゃいけない事くらい敵兵だって知ってる筈なんだ」

「うん……」

「でも……やっぱりここからは逃げられそうにないから、一度戻って隊長に……」

「カイ、ジョウイ。どうして俺の言う通り、東の森に逃げなかったんだ?」

俯き困惑したままのカイに、ジョウイが取り成すように言葉を出したその時。

自分達の来た方向でガサリと動いた暗闇から、滝の音に消されそうな静かで暗い声が二人の前に現れた。


「「ラウド隊長!!!」」

ユニコーン少年兵部隊の隊長は、ハイランド王国軍の制服を纏った数人の男達を従え

苦虫を噛み潰した様な顔で二人を見ている。

明らかに、お互い助かって良かったな、と云う表情ではない。

「ラウド隊長、無事だったんですね! それに、後ろに居る王国兵の人達は援軍……ですか?」

さっきまでは、悲鳴と炎の上がる音しか聞えない極限状態だったのだから

見知った顔があればほっとするのも仕方ないのかもしれない。

しかし表情を明るくしたジョウイも、流石にこの状態に違和感を覚えているのだろう。語尾に戸惑いが隠し切れていない。


「ほぉ……物分かりの悪いネズミが混じっているようだな。東と北も分らぬか?」


ぞくりとする様な声が響いた。


何とか状況を把握しようと、黙り込んでいたカイの背筋に冷たい汗が伝う。

王国兵達の間を割って闇から現れたのは、白銀の鎧を纏った長身の男。

「ルカ様!!」

ラウドにルカと呼ばれた男はカイとジョウイを視界に入れて、瞳をニヤリと細めた。


死の色だ



「あなたは……」

カイもジョウイも、少年としては非凡な武芸の技術や強さを備えている。

だから、一目見れば相手の強さも感じるのだ。


彼は……ルカは、ここに居る誰より、自分達が束になっても敵わない程に強い。


少年達の悲鳴が、聞えた様な気がした。

燃え上がる駐屯地を、苦痛に喘ぐ仲間達を置き去りにして逃げて来た。あの時の恐怖が今、再び訪れている。

純粋な恐怖と云うのは、全ての感覚を麻痺させるものであるらしい。

カイは、ただそこに立ち尽くす事しか出来ず。

ジョウイが相手へ向けた言葉は、殆ど自分を保つ為に吐き出された言葉なのだろう。

この人間が誰だったとしても、その死の色をした瞳が雄弁に語っている。

間違いなく自分達の敵である事を。



「言った筈だぞ、ラウド。『1人残らず殺せ』……と」


この状況が楽しいとでも云う様にニヤリと目を細めたまま、目の前で凍り付く二人に嘗める様な視線を這わせる。

「も、勿論です、ルカ様!!」

ルカの言葉に焦った様に上げたラウドの声が、二人の意識を現実へと引き戻した。

「ラ、ラウド隊長……どういう、事です……その人は一体……」

「お前らには関係のない事だが……どうせ最後だ、教えてやろう
 こちらに居られるのは、我らハイランド王国のルカ・ブライト様。そう。お前達の皇子様さ」

「皇子……?」

ユニコーン少年兵部隊に、カイとジョウイが所属して一年。

隊長として慕ってきた人物が、部下である自分達を殺そうとしていると云う事実も受け入れ難いというのに

この、あから様に殺意を放っている目の前の人物が、自国の皇子だなんて。

もし本当だったとしても、簡単に信じられるものではない。

「自国の皇子の顔も分らぬとは、田舎の軍もいい処だな」

「えぇ……しかし“捨て石”にするには最高ですよ。わたしが請け負います」

『自国の皇子』という言葉に戸惑い勢いの失せたカイ達に、ルカは面白くなくなったのか

隣で自分に取入ろうとニヤつくラウドへ視線をやる事もなく、踵を返し闇の中へと消えていった。



「お前達には王国の為に役に立ってもらう。安心して、俺の出世の礎になってくれ」

「た、隊長……」

「お喋りはここまでだ。お前らにはここで死んでもらうぞ。卑劣な都市同盟の奇襲によってな」

彼の言葉を素直に受け取るのなら、ユニコーン少年兵部隊はラウドの“出世”の為に犠牲になり

そして今、自分達もこの世から消されようとしている。


他人なんて信じるな。


それがカイの双子の妹であるケイに、二人の入隊が決まってから何度となく言われた言葉だ。

自分達以外は信じてはいけない、必ず裏切られて傷付く事になるから。

その言葉に、カイは頷く事も否定する事もなく、ただ曖昧に笑う事しか出来なかった。

ケイが何故そこまで排他的なのか、その理由を知ってはいたが。

彼は信じていた、大切にしていた。部隊の仲間達の事も、ラウドの事も。

それなのに、それは“つもり”だったんだと今、明確に気付かされてしまった。

自分は何処かで、諦めていたのだ。それは……


ラウドが“捨て石”にすると言った時?


ルカが目の前に現れた時?


駐屯地に火の手が上がった時?


それとも、もっと前?




ルカが消えた事により、かかる威圧感がなくなった為

未だ戸惑うジョウイを横目にカイは素早くトンファーを構え、ラウドの指示で自分達に近付いてくる兵士達の前へと躍り出た。

怯え抵抗しないまま自分達に殺される筈だった少年の一人が、突然そんな行動に出たのだ。

ラウドを始め兵士達は皆、驚きを隠せず大きく隙が出来る。

直に詰まった間合い。

慌てている所為か、剣が上手く抜けない目前の兵士。どうやら王国軍兵と云えど、あまり訓練されていない下っ端の様だ。

尤も、少年兵を相手にする上に奇襲だったのだから、下っ端で充分だと思って当然。

しかし今となっては、弱くて良かったと言うべきだろうか。

カイが飛び出した事で我に返ったジョウイが横に並んだ今、彼等など敵にはなりえなかった。



今迄隊長として彼等を見てきたラウドにも、二人が充分に力の有る兵士だと云う事は分っていたが

それは所詮、少年兵としての範囲を超えていなかった筈で。それに引き換え、こちらは下っ端と云えど王国軍の兵士なのに。

「カイ、大丈夫か? 怪我は?」

「ぼくはへいき。ジョウイは?」

「そうか、良かった……僕も平気だ」

ラウドを除き、今この場に立っているのは己の予想を見事に裏切って、少年達だったのだから。

二人の力は協力して戦う事で二倍三倍にもなる事を、兵士としての彼等しか知らないラウドは知る由もなかったのだ。

「おのれぇ……じたばたと、しつこい奴等だ
 そこで待ってろ!!! 直に戻ってくるからな!!!!」

倒れた兵士達は、地に伏したままうめいている処を見るとどうやら死んではいない様だが

今直ぐ立ち上がって彼等に掛かっていける訳もない。

まだ駐屯地の方には何人も兵士が残っているんだ、数に物を言わせてしまえば良い。等と思いながら

二人と倒れた兵士達を置き去りに駐屯地の方に走っていくラウドには、自分で捕まえようなんて云う気はさらさらないらしい。

しかし、このまま数で押されれば危険なのは当たり前。幾ら兵士達より強いと云えど、体力に限界はあるのだから。


「くっ! このままじゃ、いつか殺られる……」

走り去るラウドの背中を見送り、ジョウイが苦々し気に呟いた。

その言葉には『負ければ死ぬ』と云う以上の、複雑な気持ちが混ざっている様にカイには聞え

「……カイ」

ジョウイが背後の自分を振り返る迄の、ほんの数秒の逡巡が堪らなく長く感じた。


「他に方法はない。この滝に飛込もう」

「え……この急流に?! いくらなんでもムリだよ、助からない!」

「そうかもしれないけど、ここに飛込む以外に逃げ道があるか?
 僕等は死ぬ訳にいかない。だけど、隊長は僕等を見逃すつもりなんて……」

現状は、疑う余地もない程に彼の言う通りなのだろう。

それでも、心の何処かで信じたいと叫ぶ自分がいる。


それが、その『信じたいもの』が何かは、カイ本人にも分らないのに。



迷いを断ちきれないと云う表情の彼に、ジョウイは

「それに、確かに急だけど、助かる可能性は0じゃないだろ?」

カイが幼い頃から何度となく目にした笑顔を浮べる。

いつも傍にある、優しい大好きな笑顔。


これさえあれば進んでいけると、心の底から信じられる笑顔。


「……うん、そうだね。きっと、助かるよね」

「そうさ、きっと助かる」

微笑み返すカイに、ジョウイはもう一度微笑むと

少しだけ辺りを見回し、目に留った岩に右手の棍で大きく疵を付けた。

「僕等が生き延びて……でも、離れ離れになってしまったら。その時は、ここに戻ってくる事にしよう
 そして、ここで再会しよう……約束だ、カイ」

「ダメだよ、ジョウイ」

確かに、この急流に巻かれて“二人一緒に”助かる確率は、0に近いのかもしれない。


それでも


「2人いっしょに助かるんだ」

他に何を諦めたって、これだけは諦められる事じゃない。

諦める訳にはいかない。


「カイ……」

「2人でキャロに帰ろう」

いつだって、正しい事を言うのはジョウイだが

その心を支えるのは、いつだってカイで……。


嘘をつく事すら知らない真っ直ぐさと、目が眩む様な優しさ。

しかしそれは弱さと甘さでもあり、こんな時代に在っては諸刃の剣でもある。


だがジョウイにとっては、何物にも代え難い宝で。

それこそが守りたいもので。



「そうだな……じゃあ、これは二人が一緒に助かる為の願いの印にしよう」

「うん」

目を細めて微笑んだ自分に、カイも本当に嬉しそうに笑った。

自分で付けた一本の疵に、もう一本の疵を作る。


交差した二本の線は、彼等自身。

全く違う所で生を受け、それでも彼等は出会い、常に共に歩いて来た。

そしてそれは、これからも永遠と呼べる間続く筈……。



森の方から足音が近付いてきた、時間はもうない。

轟々と流れる滝は、闇さえも飲み込もうとしている様に見える。

それでも、二人は互いに見合わせると強く頷き合って

「お前ら!!!」

背後で叫ぶラウドの声を合図にするかの様に、地面を蹴った。




落ちていく。


墜ちていく。


その先には、揺らぐ事なく在り続ける大きな流れ。



うねりは少年達を飲み込んでも尚、何事もなかった様にただ




流れ続ける。





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04/07/30