少年は夢を見ていた。




幼かった頃の、祖父が生きていた頃の、いつも四人一緒だった頃の


一番楽しかった頃の




夢。





それぞれの終りと始り





「コイツ、寝てんじゃねぇか?」

「まさか。川に落ちてそれでも寝てられるって、ビクトールさんじゃあるまいし」

「どういう意味だ」

「そうですよ。いくら隊長でも川に落ちたら起きますよね?」

「よーし、良い度胸だ」

「えぇ!? なんでッスか!!?」

川から救出した少年と、少年を救出する為にずぶ濡れになったビクトールを

そのままにしておいたら風邪を引きかねないと、火を起こして今は焚火を四人で囲んでの妙な団欒中。

寒さから自力で上がってこれなかったビクトールを、縄で引き上げた部下二名も微妙に濡れているが

もう三十分も前の話なのですっかり乾いていた。

彼等の荷物に入っていた防寒用のマントに包れた少年は、まだ目を覚ましていない。

ビクトールの濡れた服と少年の濡れた服が、木の間に渡されたロープに掛かって揺れている。



「しーーっかし、フリックはどこまで行ったかねー」

「湖まで行ったかもしれませんね。案外自分も流れて」

「ふ、不吉な事、言わないで下さいよぉ……」

――フリックなら有りそうだけどな

と思ったビクトールだが、無駄に部下の不安を煽る訳にもいかず、自分の横で転がる少年を見た。

火の所為なのだろうが、顔色も随分良く見える。このままなら凍死はしないでくれそうだ。

無意識についた溜息の後、背後の森が揺れた。

「フリックさん」
「副隊長!」

部下二名が同時に上げた声に、自分が後ろを振り向かなくても良くなり、片手を上げるだけにしたビクトール。

その手に、パンと掌が当る感触の後、少年を挟んで隣に座った相棒に

「湖まで流れてたのか?」

と、からかい調子で問えば返ってくる気合いの入った拳を、素早く掌で受け止める。

「流れてたら、今頃ここに居るかっ」

「ジョーダンだっつーの。……で?」

「……駄目だ。途中で完全に見失った」

軽く頭を振った後、フリックの視線が眠る少年へと向かい、それに釣られ三人も少年を見る。

流れていったのは、少年の友人か。こんな所で仲良く土左衛門直前だったのだ、全くの他人ではあるまい。

「何処かで打ち上げられていれば良いが……」

「そうだなぁ……」

「……きっと、どこかで上がってますよ。下流の方にいけば、けっこう町も多いですし!」

「そうだなぁ……」

「取敢えず、どうします。このまま野宿にしちゃいますか?」

自分が少年な訳ではないのだが。どこか先行き暗い気持ちになってしまうのは

戦いに身を置くものとしては皆、少しばかり優しすぎるからだろうか。

持ち上げる様に問うた部下の言葉に、ぐるりと辺りを見回したビクトールは

まだ冷たい自分の指先を最後に見て、のろっと腰を上げる。

「服が乾いたら行こう。下流の町の情報でも、砦に戻れば入ってくるだろうしな」

「そうだな」

同意したフリックに部下二名も頷いたので、空気を入れ替えるかの如く会話は別の話題へと移っていった。






少年が目を開けたのは、太陽が頂点まで昇りきった頃。

妙に揺れる感覚に風を切る音と馬の蹄の音が響く中、寝ていられなくなったと云うのが正解だろう。

――……あ…………れ?

顔に当るのは何か。

重力に引かれるままだった、随分と重く感じる腕を上げてそれに触れてみれば

いつもはしてる筈の手袋がないので触感がダイレクトに伝わる。

すこしゴワゴワした、細い長い……。

――……毛?


「お? 起きたのか?」

ビクトールが、少年のそんな動きに気付いた時は一歩遅かった。

顔に当るそれが何なのか分らず、少年はむんずと掴んで引っ張ったのだ。


突然体が仰け反った。


「だっ! お前! 止めろ!! 放せ放せ!! 馬のたてがみを掴むな!!!」

ひしっと掴んだままの手を決して緩めようとしない少年に、馬はドタバタと暴れて自分の背中に乗る者を振り落とそうとする。

ビクトールとしても今直ぐ馬を楽にしてやりたい気持ちはあるのだが

こうバタバタ暴れられると手綱を放せば彼がまず落ちるだろう。出来ればそれは遠慮したい。

しかし少年は起き抜けであり、この混乱。言われた通りに事を行えないのは、まず仕方なく

結果、少年とビクトールの落馬。



ドスン! と思いきり良く落ちた筈なのに、少年に痛みは全くなかった。

勿論、ビクトールが下敷きになっているからである。

地面に転がると、草の匂いが良く香る。大きく深呼吸し、自分の上に乗ったまま動かない少年へと視線をやろうとしたら

「何やってるんだ?!」

「俺じゃねぇよ!!」

馬の蹄の音に混じって聞えた、フリックの怒鳴り声。

反射的に自己弁護してみるも、溜息をつきながら馬から下りてくる相棒は聞く耳を一切持ってくれない。

少し、自分の身が酷く不憫な気がして

「ったくよぉ。いたたた……ムチャクチャしてくれるぜ、お前さん」

実際はキッチリ受け身も取った為、それ程痛くはないのだが。

わざと痛そうな声を上げてのろのろと体を起せば、途中で少年が飛びのいた。

勢いよくビクトールを振り向いた顔は、丸い大きな目が飛び出さんばかりに驚きを主張しており、彼の方が驚きそうだ。


「ずいぶん元気そうだな」

上からフリックの声が降ってきて、今度はその声に驚いて自分と彼とを忙しなく見ているので。

絵に描いた様な挙動不審ぶりに、驚くよりも可笑しくて、口の端を吊り上げ

「起きついでに、落馬までさせてくれるくらいだからな。そりゃ元気だ」

「ご! ゴメンナサイっ!!!」

嫌味や咎めるつもりではなく、至って彼流のからかいだったのだが

地面に額をこすり付けんばかりに勢いよく頭を下げられると、自分が悪人になった様な気がして……

実際フリックには確りと睨まれ、意地悪な笑みが困った様な苦笑いに変ってしまう。

「……まぁ、いいさ。怪我もしてねぇしな」

「頑丈だけが取り柄だからな、お前は」

「うっせぇ。で、お前さんは大丈夫か?」

「は、はい、だ、大、丈夫……です」

声は落ち込み気味、言葉は吃り、頭は下げっぱなし。

この少年が激しく小心者なのか、それともビクトールがそんなに怖いのか。もしくは両方か。

フリックは、間違いなく後者だと思っているだろう。むしろそれで納得している風である。

しかし、小さく見える体を更に縮めて怯える姿は、不憫を通り越して確実に痛ましかった。

「取敢えず……すまんが、また馬に乗ってもらえるか?」

「だな。お前さんの話は走りながら聞かせてもらうっつー事で」

素性も分らず怪しいと云っても仕方ない立場の少年なのだが、二人からはそんな意識など吹き飛んでおり。

フリックは柔らかい笑みを浮べると、未だ顔を上げてくれない少年の頭を軽く撫で

ビクトールも苦笑いを解いて立ち上ると、部下が追いかけて捕まえてくれた馬の手綱を少し引き

座込んだままの少年を、小さい子どもにする様に軽々と抱えて馬に乗せてしまった。

「次は落さないでくれよ」

そんな彼も馬に軽快に跨ると、まだ少し動転しているらしい少年の頭を一撫でして

にっ、と悪戯好きの少年の様に笑って見せる。すると

先程までは兎に角オドオドしており、一度だってまともに目を合せてくれなかった少年が

ビクトールの少ないボキャブラリーの中から突如


『花が咲くように笑う』


と云う、男にはあまり使いたくない表現が、降って湧いてくる様な笑顔を浮べた。

しかし今の笑い方は、それでしか表現出来ないような笑顔だったのだ。

今迄の挙動不審ぶりはなんだったのかと言わんばかりの、とても自然な晴れた笑顔。

他人さえも笑顔に出来る、温かく優しい。


「……俺はビクトールってんだが、お前さん。名前はなんて言うんだ?」

「ぼく……ぼく、カイです」


暗闇に灯る明りの様な

そんな笑顔。








「……なんだこりゃ?」

夕飯の買い物にケイが、商店に行った帰り道。

大通りで一人の軍服を着た男が、沢山の人達に囲まれていた。

男が何か言う毎に、周りを囲む人達は啜り泣きや怒声を上げるが、他人の動向に一切興味のない彼女は

いつもなら広い、今は人込みに溢れて狭くなった通りを、人とぶつからない様に荷物を抱え直して慎重に歩くだけ。

しかし、次の大声が聞えて動きが止ってしまった。


「少年兵の部隊を狙うなんて! 都市同盟の奴等め、許せない!!」


少年兵の部隊。

それは、キャロの街においてはユニコーン少年兵部隊を指し

そして、ケイの双子の兄と幼馴染が所属している部隊と云う事になる。


どういう意味だ、と頭が理解に力を傾けるより早く彼女の手は持っていた荷物も構わず、近くに居た男の胸座を掴んでいた。

「な、何だ?!」

「少年兵の部隊が何だって!」

「え? あ、あぁ……」

ケイの目が据わっていた所為か、それともその話題の所為か。

男は急に胸座を掴まれたというのに、少しばかり悲しそうな顔を浮かべるだけ。

「何でも……昨日の晩、天山の峠で駐屯していた少年兵の部隊が」

「部隊が!?」

「都市同盟の奇襲に遭って、全滅したらしい……」

ケイは

思考が真っ白になっていくのとは逆に、視界は真っ暗になっていく様な気がした。



全滅。


本来ならば、今日の夕刻には帰ってくる筈だったカイとジョウイが昨日の晩、駐屯地で死んだ。

有り得ない話だ。


いや、天山の峠は一応ハイランドと都市同盟の国境近くで、前線とは云わないまでも重要な地点である。

そして彼等は、少年とは云え兵隊なのだ。敵と戦い死ぬ事も、可能性としては有り得る。

しかし現在は、休戦協定が結ばれ二ヶ月程が経った所で、その協定のお陰で少年兵部隊の半数は帰ってくる筈だった。

その半数の内に、カイとジョウイも入っていた。



沢山の声が、否応無しにケイの耳に飛込んでくる。

「火が放たれて……」

「1人も逃さず……」

「スパイが居た……」

昨夜、自分が炎の様な熱さを感じた。あれがそのサインだったのだとしたら。

なんでもない、大丈夫だと寝付いてしまい、自分は二人を見殺しにしてしまったのではないか。

そんな思いが、ケイの思考を追詰めていく。


息詰った重い頭と足で家に戻れば

「おかえりーケイ! …………ん? どうしたの、顔青いよ? カゼもらっちゃった?」

姉がいつもの笑顔で迎えてくれる。

いつもなら嬉しい笑顔も、かけてくれる声にも反応出来なくて

泣きそうな自分を抑えて、今聞いてきた事実を伝える事しか、ケイには出来なかった。

話を聞いて呆然とするナナミを前に

――もう、スパイでもなんでも良い……頼むから生きててくれ


そう、祈る事しか


出来なかった。




1話 後編へ

04/08/28