見事に腫れ上がったカイの額には、いつも付けている金の輪っかではなく

三日前、リューベまで一緒におつかいに行ったトウタがくれた傷薬を塗り付けた湿布が貼られている。

ピリピリと沁みるが、沁みるという事は効いていると言う事なのだと諦め

気を抜けば患部を抑えたくなる手を必死で押し留め、今はポールの手伝いの真っ最中。

使わなくなった資料等を地下の部屋に仕舞う為、二階と地下を行ったり来たりしている。

まぁ、慌ただしいのは仕事をしている彼等くらいのもので

仕事を終えてしまった他の者達は、慌ただしい彼等を見て呑気に笑っているだけ。

そんな、いつもと変らずのんびりとした時間の流れていた砦内に、突如


「侵入者だ!!!」


そんな声が響いたのは、空が藍色になり始めた頃。

カイがその声を聞いたのは、二階の会議室でだった。

地下に仕舞うファイルを選り分けていたビクトールとフリックも、その声に当然気が付いた様で

互いに顔を見合わせると、ビクトールがカイの頭を軽く叩いて

「この部屋から出るなよ」

安心させる様にいつもの笑みを浮べて、二人は部屋を出ていく。

しかし、カイの胸に込み上げてくるのは不安だけ。

――……侵入者……

言葉の響きが既に恐怖である。

あまりにも平穏で温かい環境であったので、彼は見事に失念していたが

ここは都市同盟と云う自分の国と敵対している場所で。

今訪れた侵入者の様に、自分だって何時囚われても可笑しくない身の上だ。

むしろ、囚われていない現在が可笑しいと云うべきか。

抱えていたファイルをきつく抱きしめ、思わず息を飲む。

どれくらいそうしていたのか。廊下の方が騒がしくなり、カイが我に返った時には、会議室の扉が開こうとしていた。



「カイ!!!」

まず会議室に入って来たのはビクトールだったが、その後から入ってきたのは

「ジョウ……」

「カイ!! 良かった! 無事だったんだな、怪我は……あぁ!! どうしたんだ、その額!!!」

互いが互いを探し続けていた、幼馴染の姿。


その唐突な再会に、カイはファイルを抱えたままぽかんとし

ジョウイは、武器は取上げられても手は取られてなかったらしく、勢い良くビクトールを突き飛ばすとカイに駆け寄る。

その姿は、友達と云うより親子と云う方が近いくらいで。

傭兵達は皆、呆れ半分微笑ましさ半分と云った表情で、その様子を眺めていたが

ジョウイはと云うと、カイを確りと抱きしめて自分の腕の中に匿い

どういう考えに至ったか想像に容易い、『お前ら、カイに何しやがった……!』と如実に語る目で、ギロリと傭兵達を睨んだ。

武器を取上げている上に多勢に無勢なので、流石に暴れる心配はないだろうが、視線だけで人を殺しそうな勢いである。

部屋の温度が、氷点下まで下がった気のする傭兵達。

「ジョ、ジョウイ! なんでここに!? どうしたの?!」

一人、何が行われているのか分かっていないカイは、ジョウイの腕から脱出しようともがいているが

決して緩められる事のない力と応えてくれない言葉に、諦めた様子で溜息を付くと

「はぁ……。……でも、ジョウイも無事みたいで良かったよ……」

誰からも表情は見えないが、恐らく心底嬉しそうに笑っているのだろう。そんな声で、そんな事を言うものだから。

「カイ……!!」

「ちょっ、ジョウイ! くる、くるしいっ!! ってゆーかいたいっ!!」

ジョウイも、心底幸せそうな顔でさらにキツク抱きしめる。

ギブアップを訴える為に腕を叩こうとするがカイの両手はファイルで塞がっているので、あわや幼馴染に絞め殺されそうになるも

「……感動の再会はそれくらいにしとけ。じゃなきゃ、永遠の別れになっちまうぞ」

ビクトールがジョウイの肩を叩いた事で、どうにか事無きを得た。



なんとか落ち着きを取り戻した室内で、ようやく話を開始。

尤も、カイの探していた人物であると分かった今、既にカイから色々な情報が駄々漏れであるから

ジョウイの素性など特に聞く必要もなく、忍び込んだ理由もそれにより明白だったので

「そういえば、お前達がなんであんな目……川なんかに浮ぶ様な羽目になったか、聞いてなかったな」

聞く事と云えば、カイからは聞き忘れていたこの事くらいだ。

「前に聞いたときゃ、確か『都市同盟の奇襲』とか言ってたが……
 休戦協定以降、俺達含め都市同盟の軍が動いた事はないぜ」

「……一体、何があったんだ?」

睨んでいる訳でも、キツく問われている訳でもない

ただ真相を知りたいと云う瞳で自分達を見てくるビクトールとフリックに、ジョウイは言葉が詰った。

彼等が都市同盟の傭兵達である事は分かっているし、自分達が彼等にとって敵兵である事もカイのお陰で漏れ済みなのだから。

だけど話せない理由として、それは少しばかり離れていて。


ジョウイは、何を信じて良いのか分からなくなっているのだ。


自分達はハイランドの人間で、兵隊で。彼等は都市同盟の人間で、自分達の戦う相手で。

しかしあの日、駐屯地で自分達を襲ったのは……。


煮詰まった思考に、何時の間にか俯いていたのだろう。不意に右手がぬくもりに包まれて、驚いて顔を上げれば


柔らかく微笑むカイが居た。


「ジョウイ……ビクトールさんたちは、すっごくやさしくて良い人だよ。ぼくは、信じたい……」

確かに、カイを救い出し面倒を見てくれたのは彼等であり

真っ直ぐに自分を見てくる目は、カイが懐き信じられるだけの好人物なのだとジョウイにも思える。

だが、頷いてしまうのには抵抗があって躊躇していたら

「あのですね、ビクトールさん……」

黙り込んだのをゴーサインだと受け取ったらしいカイが、勝手に話し出してしまったので


彼は確かに自分の最愛の幼馴染で、何があっても守りたい大切な人なのだけれど

それ故に、悩みの大半は彼が占めているのだと云う事に、改めて気付かされたジョウイだった。






詳しい話が終った後、『まぁ取敢えず、しばらくゆっくりしていけよ』と牢屋に案内されてしまった二人。

しかも初めて扉に鍵を掛けられ、カイは衝撃で半泣きになっていたが

間違いなく逃げる気満々であろうジョウイがいるのだから、それも止むを得ず。

それでも、武器は牢の外にある壁に立て掛けてあるのだから、用心してるんだか不用心なんだか分かりはしない。

少しすれば、ポールが二人分の夕食を持って現れた。

寒くない様にと、一人で使っていたとは思えない枚数の毛布が敷き詰められた牢内に

一人分増えたから質素になったと言いながら差し出す食事も、確かに質素ではあるが粗食ではない。

カイは“捕虜”と云うには相当良い待遇を受けていた事が分り、ジョウイは少しだけ安堵した。


「カイ、悪い事言わないから逃げ出すなんて止めとけよ……その内ボスに、出してもらえるように頼んでやるからさ。な?」

カイが幸せそうにパンを頬張っていると、ポールに心配そうにそんな事を言われ、少しパンが喉に詰りそうになる。

故郷で待つ家族が居るのは確かだが、カイとしてもここまで優しくしてくれる人達を困らせてまで逃げ出したい訳ではない。

しかし頷く事も出来ず、困った果てに横目でちらりとジョウイを見てみれば、何か考えているのか。

地面に置かれたトレイに乗る、スープの器をじっと見詰めていた。

「あの」

かと思えば、突然上げた声。

まさか自分に掛けられていると思わないポールの手を、カイは軽く引いてジョウイの方を指差してやる。

「……え? あぁ! なんだ、どうした?」

「はい。スプーン、貸してもらえませんか?」

「スプーン? スープを飲むのにそんなもん使うのか、お上品な事だなぁ。待ってろ、今持ってくるから」

カイとは違ってやたらと落ち着いたジョウイの様子に、ポールは頭を掻きながら牢を出ていった。

彼が居なくなると、ジョウイは立ち上がり外を窺ってから、深く溜息を付いて座り直す。

「ジョウイ、どうしたの?」

ジョウイにとってはあまり居心地の良い場所ではない事くらい分かっているが

あまりにも暗い表情を見せられると自分まで不安になってくる。

その事に気付いているのかいないのか。彼は少しだけ微笑んで、そして一言。

「カイ…………人参、食べて」

この場にケイが居たのなら、間違いなく拳を繰り出していたのだろうが。

「…………好ききらいはイケマセン」

カイは同じく少し微笑んだ状態で固まったまま、なんとかその一言を絞り出した。



カイがピーマンを残した時は食べてやっただろう!

ピーマンはニガいから体に良くないから食べなくても良いんだよ!

ピーマンは栄養価が高いってゲンカク師匠も言ってたじゃないか!!

でもニガいのは体に良くないんだもん!!


と言い争いをしていたら、何時の間にか戻っていたポールに大笑いされ、二人は変にバツの悪いまま食事を終えてから

時間は経ち、砦内が完全に静まった頃。

毛布に包まり、そろそろ二回目のレム睡眠が始ろうかと云うカイを、ジョウイが軽く揺すった。

「カイ、起きてくれよ。カイ」

「うぅ……ぼくのごはんをとらないでくださいビクトールさん……」

人見知りが激しいくせに、馴染むとあっという間に適応してしまう幼馴染に、思わず頭を抱えて深く溜息をつき

激しく揺すってから、問答無用で毛布を引き剥がす。

「ジョウイ……ニンジン食べてあげたのに、ひどい……」

「それは置いておいて! ほら、早く体起して。君が持ってるもの見せてくれよ」

「何するつもりぃ……」

「逃げるんだよ」

まだまだ寝ぼけた頭で渋々体を起し、部屋の隅っこに置き去りにされた道具箱を四つん這いで取りに向かっていると

背後でジョウイがさらりと放った言葉に、思わずカイの動きが止った。

「……にげるの。なんで?」

「なんでって……大人しく捕まってるつもりだったのか?」

「だって、いつか出してくれるって……」

「あのポールって人は掛け合ってくれるって言ったけど、そんなの何時になるか分からないだろう?」

「そう……かも、しれないけど……」

「ケイとナナミが、待ってるんだよ。それなのに、帰らないつもりかい?」

「そんなわけない!」

「だったら」

「そう……だけど……」

ペタリと座り込んで、所在無さ気にぼそぼそと話すカイに

彼が余程、この砦の傭兵達に懐いているのだと云う事をジョウイは改めて知り

複雑な思いのままに笑みを浮べて、俯いたままのカイの肩に手を置く。

「僕等が天山の峠から離れて、もう一週間は経ってるよな」

「……うん」

「ケイとナナミが、心配してないと思う?」

「…………してる、と思う」

「だろう?
 ……確かに、あの晩ラウド隊長が言ってた事を考えると、キャロに戻る事は危険かもしれない
 けど、僕等は約束しただろう。必ず無事で帰るって。だから、早く戻って安心させてあげなきゃ。な」

「……うん、分かった。帰ろう」

ようやくカイが顔を上げてくれた事に、ほっとして今度こそ本当に微笑むと

部屋の角から引っ張り出された道具箱を二人して覗き込んだ。

中に入っていたのは

「ロープに油の付いた布、火打ち石か……凄い。これだけあれば簡単に逃げられそうだ
 ……けど、なんでこんな物がここに?」

「布はてきとうに片付けてくれーって言われたんだけど、しまうとこがなかったからそこに入れて
 ロープは荷物をむすんでたのをほどいたとき、もういらないからってそこに入れて
 火打ち石は、良い石でよく火がつくからあげるーって。もらった」

傭兵砦内でのカイのポジションが、ますます分からなくなるジョウイ。

「…………ま、まぁ! これで出られるぞ!!」

「じゃあ、書きおきしておくね」

「……書き置き?」

「かってに出ていってごめんなさい、って」

「……書く物あるの?」

「スミがあるから、指でゆかに書く……あ! でも、消すのたいへんかぁ。けど、毛布に書くともっとおちにくいし」

「……床で良いんじゃない……」

「良いかな? うん。じゃあ、ゆかに書くね」

道具箱から墨の瓶を取り出すと指先に付けて“書き置き”を始めるカイに、ジョウイは諦め半分の生温い笑顔を浮べてから

夕食の時にポールに借りて返していなかったスプーンを手に持ち、扉の錠前に細工を始めた。

実際に行うのは初めてで手間取りはしたが、幼い時に好奇心で覚えた鍵の開け方がまさかこんな所で役に立つとは。

開いた扉に、簡単な作りで良かったと胸を撫で下ろす。

「わぁ! すごいねジョウイ! 冒険者みたいだ!!」

「あはは……どっちかと云うと、泥棒みたいだけどね」

目を輝かせる幼馴染に苦笑いを一つ浮べてから牢を出ると、立て掛けてあった其々の武器を取り。

「じゃあ、行くよ。カイ」

「書きおきもできたし、オッケー!」

牢から出てくるカイの背後をチラリと見れば、床にはデカデカと『ごめんなさい』と汚い字で書いてある。

理由がないのは、その文字を知らないからだろう。しかも、戸口の方から見たら逆さまで、ちゃんと読めるかは難しい処だ。

ここを逃げ出してキャロに戻って、おそらくそこからまた別の所に逃げ出す事になるのだろう。

そしたらハイランドなんて知らない場所に逃げて、そこでまた昔の様にカイ達にゆっくり文字を教えるのも良い。

そんな事を考えながら静まり返った砦内を共に歩くカイを見れば、直に気付いて微笑んでくれる。


カイが隣に居る。


ただ、それだけの事だが……ここ数日の間で、嫌と言うほどジョウイは思い知った。

いつも隣に居た人間が不意に居なくなってしまう事。それがどれだけ心細く、辛い事なのか。

幼馴染で最愛の親友、カイが隣に居てくれる。



それだけで、何よりも強くなれた。





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04/09/22