| 台所の勝手口を抜けた先にある裏庭から、二メートル程度の岩壁を越えれば 大きな樹が中央に立つ、ケイやナナミ達だけの遊び場がある 。 遠くは天山の峠まで見えそうな、その場所で ケイはムクムクを膝に乗せて樹に凭れながら、今朝ゲンカクの部屋から持ち出した本でのんびりと読書を楽しんでいた。 もうそろそろ姉の声で、昼ご飯が出来たと聞えてくる事だろうと本を閉じた瞬間。
かれこれ一年以上家を離れていた事になるのだ。家族を安心させたいと云う思いも勿論有るが、それ以上に早く帰りたくて……。 あまりにも懐かしく、何も変っていない我が家に足を踏み入れたカイは、まずはぐるりと室内を見回した。 台所の方から良い匂いがし、そちらにナナミ達もいるのだろうと思えば、空っぽで。 しかし食事の用意は完璧に整っていたため、いつも通り祖父の所に昼ご飯を供えに行ってるのだと勝手口から裏に出れば そこにはとても見慣れた、とても懐かしい姉の姿があった。 嬉しくて『ただいま』と声をかけたカイに、ナナミは……
しかし彼女はよっぽど興奮してるらしく、倒れたカイの胸倉を掴むと力任せに思い切り振る。遠慮なしに全力で。 基本的に様々な表現の大きな家庭なのだが、彼が家を離れている間に一段とパワーアップしているようで ガクガクと揺さぶられ気分が悪くなりつつも、ナナミの言葉に必死で返事をするカイの健気さは非常に涙ぐましい。 一頻り喚いて振ってを繰り返すと、なんとか落ち着きを取り戻したらしい姉は、一つ安堵の溜息をついて 馬乗りになっていた弟の上から降り、彼もやっと普通に話が出来る状況になった。 「ね、ね。ほんとに大丈夫? とちゅうでヘンなもの食べてない?」 「うん。大丈夫だよ」 「ほんと? そっか、良かった。よかったぁ……お姉ちゃん、とっても、とーーーっても、しんぱいしたんだから……」 馬乗りになられていた時には分らなかったが、よく見れば安心して微笑むナナミの目元には少し涙が見える。 心底心配をかけたのだろう、それが申し訳なくて。でも、そこまで自分を思ってくれる事が嬉しくて 「しんぱいかけてごめんね、お姉ちゃん」 少し弛んだ顔をすれば、ナナミは少し眉を吊り上げて彼の鼻先に指を突きつけた。 「私だけじゃないわよ。ケイだって、すーーっごくしんぱいしてたんだからっ!」 そう、素直じゃないけど心配性な妹も、きっと彼女の言う通りとても心配していたに違いない。 部屋を見てきた限りでは姿がなかったので、ケイもここに居るのだろうと思っていたがここにも姿はなく。 何処に居るのか、と聞こうとしたその時
と言う叫びと共に、頭に何か柔らかい物が乗った感触に続き、右腕から肩にかけた辺りに激しい衝撃を受けて カイは家の壁まで吹っ飛んだ。
頭にはまだふわふわとした感触があり、それがヘルメット代わりになったのか頭は打たなかったが それでも視界はぐるぐると回転していて、衝撃の正体を自分の目では確認出来ない。 しかしナナミの今の言葉と、その前の叫び声。何より、前置きもなくこんな事をしてきそうな人物を、カイは一人しか知らない。
なんとか身体を起こしたカイは、頭の上に乗ったそれがヘルメットなどではなく幼馴染のムササビ、ムクムクである事を確認すると 自分の姿を見つけると反射的に頭に乗ってくる為に目を回す羽目になってしまった彼に同情しつつ、目前で喚く人物を見た。 自分と変らぬ背丈に、髪の長さも目の色も顔も瓜二つと云っていい。そんな双子の妹が、腕を組んで自分を睨み下ろしている。 「……ただいま、ケイ」 「ったく、何処に行ってるかと思えば怪我して帰ってくるし…………おかえり」 睨みつける目は相変わらずだが、それでも自分の帰りを喜んでいるのだろう妹に彼の顔が綻ぶ。 双子な所為か。カイが怪我をすると、大凡5割以下にはなるようだが確実にケイも同じ場所に怪我をしている。 そんな事もあり、ケイはナナミ以上に心配していたのかもしれない。何処に居るのか、この怪我はカイが負った怪我なのかと。 意地っ張りで乱暴な処はあるが、心配性でとても優しい妹に目一杯の笑顔を見せれば ナナミも嬉しそうに笑い、ケイも仕方ないとでも言いたげに溜息をつくと少し笑った。 「でもでも、ほんとに良かったぁ。ね、ジョウイもぶじなんでしょ?」 「うん。いっしょに帰ってきたよ」 「そっかぁ、良かった……ほんとに良かった、ね、ケイ?」 「まぁね。でも色々、気になる事あるんだけど」 「え? なに??」 まだ目を回しているムクムクを頭から下ろして抱きながら腰を上げたカイに、ケイがぐいと胸倉を掴んで顔を近づける。 「都市同盟のスパイが居て、隊が奇襲受けて全滅したって? そのスパイがお前等だって?」 その言葉にナナミが息を飲んだのが、視界には入っていなくともカイにはハッキリと分った。
間近にある顔が、先程とは違った強い視線で自分を見ているのだ。 それは疑いや怒りと云った色を、寸分も滲ませてはいない。微塵も自分を疑っていないと分る、そんな視線だったから。 「……お姉ちゃんやケイを、うらぎるようなことはしてない」 自分を落ち着け、頭の中をなんとか整理してそれだけ言えば ケイは胸倉から手を離し、ナナミも安心した様な溜息をついた。 「じゃあ街中にがんがん立ってる立て札って、一体何なんだ……?」 「ぼくらは、にげたんだ……火の手が上がったとき、ぼくがジョウイをムリヤリひっぱって、にげたから」
目の前にあるケイの顔が、驚きで歪む。ナナミも、口を押えて呆然と聞いているだけ。 信じがたい事実だろう。しかし
「誰も疑ってるなんて言ってないだろ」 事も無げに返ってきた言葉。 「そうだよ! カイが何したって、私とケイは味方なんだからねっ!」 「ナナミ、それだと疑ってる事になるから」 「え、え、え? うそ、ゼンゼンうたがってないよ私」 「何したって、とか言っちゃったじゃん」 「それはほらね、気合よ気合!!」 先までの会話の流れを一切無視した様な、あまりにもいつも通りのやりとりを交わす二人に、カイは嬉しくて泣き出しそうになったが ここで泣けばケイに、『泣くな!』と蹴りの一発でも頂く事は確実なので、目元を擦ろうとすれば腕の中でムクムクが小さく鳴いた。 「……うん。ムクムクもありがとう!」 あの砦の者達も優しかったが、やはり帰ってきて良かったとカイは心の底から思った。 何よりも温かい、優しい家族を安心させる事が出来て良かった……と。
と言ったケイの言葉に、反論する者は居る筈もなく。 各自、昼ご飯にとナナミが作った辛子が効き過ぎているというより辛子サンドイッチだろう、と云うサンドイッチを食べながら 必要な物をそれぞれの鞄に詰めて十数分後、再び裏庭に集まった。
膝までもない小さな石は、カイ達の祖父であるゲンカクの墓標だ。 彼等よりずっと大きかったゲンカクが、その下で眠るにしては小さ過ぎるが その前には、今朝供えられたばかりの花と、数十分前に置かれたばかりのサンドイッチが並んでいる。 いつも綺麗に掃除されたその正面にカイが膝をついて手を合わせれば、頭に乗ったムクムクも真似をして手を合わせ ケイも、カイの左側に腰を下ろすと手を丁寧に合わせた。 「……私も」 ナナミも、二人の姿を一瞥して少しだけ微笑むと、カイの右側に膝をつき手を合わせる。 「ゲンカクじいちゃん。もうここには、もどってこられないかもしれないけど」
小さく、だがハッキリとしたナナミのそんな言葉で、三人はゆっくりと手を解いて立ち上がった。 「うん、これでよし!」 「そだね。じゃ、行こうか」 「うん。行こう」 「ムー」 意を決した瞬間の筈が、カイの頭の上で鳴くムクムクのお陰で一気に空気が弛む。 カイとナナミが笑いながら歩き出し、ケイは呆れ顔でムクムクを見ながら……その時彼女は、少しだけ小さな墓標を振り返ったが 振り切る様に顔を前にすると、先を歩く二人の後を追いかけていった。
カイが表へ出る為、戸を開いたその先には 野外訓練用スペース兼庭であるそこに、王国軍兵士が十人ほど道を塞ぐ形で立っていた。 「えぇえええ!!!? うそうそうそ!!!」 その状況に混乱するナナミを、カイが庇う様に前へ出ようとした瞬間。
同時に、勢いよく閉まった戸。
前を見れば、戸に閂を落して、自分の頭から転がり落ちたらしいムクムクを抱き上げるケイの姿。 どうやら自分達のリュックを引っ張って中へと戻らせたのは彼女であるらしい。 尻餅をついている二人とは違い、一人テキパキと動いている。 「それじゃあムクムク、後で。絶対逃げきれよ!」 「ムム!」 何の相談をしたのか。カイとナナミが立ち上がると、ムクムクは裏庭の方へと一匹で進んでいくではないか。 「え、ちょ、ムクムク?!」 「大丈夫だから! ナナミ、カイも、戸にぴったり張り付いて。窓から姿見えないように」 「ケイ、なにするつもり?」 ナナミはムクムクを追いかけようとするが、ドカドカと叩かれている戸に押し付けられ カイも、ケイが何をしようとしているのか分らないまま、言われた通りに戸に張り付く。 戸は頑丈に出来てはいるが、大人が数人がかりでこじ開けようとしているのだ。そう長くはもたないだろう。 「ケイ、ムクムクに何言ったの? あとでって何?」 「ムクムクには少しの間兵士を引きつけてもらうから、裏に回ってもらったんだ。それにムクムクなら1人の方が逃げやすいから」 「大丈夫かな……」 「大丈夫だよ。それより静かにしろ、作戦決行だ」 戸の近くにある窓が、ガチンと音を立てた。窓を叩き割って入ろうとしているのだ。 落ち着きを取り戻していたナナミだが、今度はそんな兵士の暴挙に暴れだしそうで、カイは慌てて振上がった姉の腕を握る。 ケイは一人静かに、叩かれる戸と窓の状態を見ていたかと思うと、ムクムクが台所手前で止まっている事を確認して 「裏口だ!! 裏に回れ! 裏から逃げるぞ!!!」 そう、大きく叫んだ。 勿論これは陽動である。その声と共に、ムクムクは勝手口に向かって飛んでいったかと思うと わざと大きな音を立てるようにして扉を開けて、外へと出て行く。
数秒も経たず、ケイの耳に裏側に回っていった兵士達の足音が壁の向こうから聞えて、カイとナナミの顔を見た。 『出るぞ』と云う合図である事は、言葉がなくても二人なら分る。 其々が愛用の武器を手にしたのは、何名かは残っていると考えているから。 流石に全員裏手に回ってしまうほど、能無しではないと思っているらしい。 二人が心の準備を終えたと見ると、ケイが閂を外し思いきり戸を開け放った。
ぱっと見た感じでは、数が減った様な印象すらもてないだけの人数がいるのだ。 「くそ……っ! 援軍か」 足音の数からして、これほどの人数が残っている筈がない。とケイは眉間に皺を寄せた。 「無駄な真似は止めろ。都市同盟のスパイを大人しく渡せ」 「だめ!! つかまったりしないもん! 2人ともかまえて。じいちゃんのおしえどおりやれば、負けるわけないんだから!!」 隊長らしき兵士の言葉に、ナナミが三節棍を構えてカイとケイの前へ出た。 と同時に二人も武器を構え、正面突破だと言わんばかりに駆け出し、一気に兵士達との間を詰める。 剣を抜いた兵士達も応戦するが、振るった刃が無駄に空(くう)を斬るだけ。 この場で殺してはならない、と云う部分があるのかもしれないにしろ 幼い頃から切磋琢磨してきた彼等の連携は、一朝一夕で仕上られた様なものではないのだ。全くと言っていい程、歯が立たない。 カイの背後を狙った刃は、ナナミの三節棍に妨げられ、その隙を突きケイがトンファーで打って出る。 三人揃えば死角など、ないに等しかった。 しかも、統率が取れていないらしい兵士達は、見事に翻弄され部隊としての役目を果たせておらず、囲みは徐々に緩み始め ケイの前に活路が見えた。 いくら今は自分達が押していると云え、このままでは裏に回った者達も戻ってくるし更に援軍も来るだろうから 結局逃げられなくなる事は目に見えている。
ケイが突然、そんな声を上げた。
当然兵士達も何が起こるのか全く予想がつかない。と云うより、気付いているのかすら怪しい。 大抵の者がその言葉から導き出せる事は、背後から攻撃がなされようとしているとか、そんな処だろうが。 先程からの戦いぶりを見ていれば、彼等がそんな声を掛け合わない事くらいすぐに分るだろう。ようするにこれは。 言われたカイは、しつこく剣を振ってくる兵士を突き飛ばす様にトンファーを打つと ケイの視界真正面に入り込んで、足を強く踏ん張る。 その瞬間 ケイが僅かな助走をつけて飛ぶと、リュックごとカイの背中を踏んで更に飛び、兵士達の頭上を越えて囲みを完全に抜けた。 兵士達に一気に動揺が走る。背後に突然敵が現れた形だ、無理もないだろう。 囲みが更に崩れ、カイとナナミも走り抜けられる! 敵に挟まれ焦る兵士をふっ飛ばしながらケイがそう思った時、背後に気配を感じ振り返る。 ……よりも早く、足に鋭い痛みが走り崩れ落ちた。
剣戟の間に聞えた、妙に落ち着いたその声にカイの動きが一瞬止まる。 いや。カイだけではなく兵士達の動きも止まった、かと思うと道を作る様に左右へと動き 「あまりてこずらせないでくれないかな、隊長と部下のよしみで」 兵が割れたその先には、いやらしい笑みを浮かべたラウドが居た。
「おーーっと。大人しくしてくれ、兄弟が大切なら」 カチャと鍔が鳴り、きらりと太陽を反射する刃に、カイとナナミの動きが完全に止まった。 「そうそう……初めからそうしてくれれば、こっちも手荒な事はしないで済んだんだ」 その姿に、ラウドが空いている手で彼等を捕まえろと兵士達に指示を出せば さっきまでは散々やられていた兵士達も急に元気になり、剣を鞘に収めながら二人を囲み始めた。 ケイは、未だ首に剣の刃を当てられて座り込んだまま。 「卑怯者」 現状況を作り出してくれたラウドに憎々しげに呟くが、彼は捕えられるカイ達に視線を向けたまま口元を歪めて笑う。 「これが戦術ってもんさ」 「死ね」 「いずれな。でも、お前達の方が先だ。おい、こっちもだ!」 その言葉で近付いてきた兵士が、ケイの手から無理矢理トンファーと荷物を奪うと引っ張り立たせ 歩こうとしない彼女を押しながら歩き出した。 ラウドも剣を鞘に収め、その後を追って歩き出す。
そう思えば、避暑地くらいにしか利用されないこの街の大通りですら、皇都の宮殿前通りの様に華やかに感じ 東の外れにある兵舎へと進む足取りも、軽くなるのだった。 05/05/20 |